THE ROCKN'ROLL SHOW 80/83 RCサクセション THE ROCKN'ROLL SHOW 80/83 RCサクセション

川越の丸広の裏通りにダカーポはあった。岸町に住んでいる髭のおっさんの店は丸広の中にある山野楽器よりも 本屋が片手間にやっていたユタビよりもずっとカッコいい感じがして中学生はよく買っていた。バイトの兄ちゃんは大学生だったんやろう。 ウィッシュボーンアッシュは”ニューイングランドも良いよ”なんてまっとうな話をしてくれたりした。兄ちゃんは ”RC凄い”といった中学生の言葉に"どうかねえ"なんて懐疑的な発言をしてたと思う。

NHKの若いこだまかなんかで放送された渋屋根のテープは確かに衝撃的やった。sweetsoulmusic、スローバラード、愛し合ってるかい?この前ジェームズブラウンが来てたんだけどしってる?

紅白唄のベストテンだったんだと思う。"step"をやっていた、でかいイヤリング、化粧、赤いジャケット、全然違った、直接的やった。素敵な唄やった。

小川銀次のギターは良かったとおもう。チャボと2人、キースとミックテイラーつうかロックンロールバンドや。G2とsaxはサブメンバーな訳でようするにstonesやんけ

ピーターバラカンが朝日新聞に批判的な評を書いていた。これはしかしまあロックじゃなく基本的にはフォーク、それにデコレートしているだけだとか何とか・・、ワカットらんなと思った。フォークもロックも関係ないやん、本物かどうかつうことやロ

”ボスしけてるぜ”は良かったのか?それまでロックンロールが続いていたシングルリリースはここで少し不安になった。しかしまあその態度はヨシというか、立ち位置はヨシというか 敬愛する母はしかし不安になったことやろう、”ドントレットミーダウン”とか毛唐の売春婦の唄だと断定し家での聴取禁止令を出し、兄や姉はビートルズもサイモンとガーファンクルも密造酒のような厳重な取扱をしていたように思うがそういう父は2年前に亡くなっていた。

NHKの録音カセットは風呂場で聴き続けた。行きたかったのお。

”ストリートを吹きぬけるハリケーンは好きかい?”シーナ&ロケット RCサクセション アナーキー eX 一風堂 が 1980 4/20 野音であった。 一風堂は記憶にない。チケットではシーナ&ロケットがトリになっていてちょっと残念なきがした。 eXはマージービート アナーキーは背が低く、そんでたち悪そうな人で前の方が占拠されていた。しかしまあ少しどこか違う気がしてた。RCの前に ”シーナ&ロケット"が出てきた。さっきと打って変わって背が高くて鮎川誠はカッコよかった。シーナも声が出ていた。 RCは凄かった。イットウ前の方に行ってたと思う。チャボが出てきて客をあおる。隣の人がステージに登って ギターを弾くチャボの隣で踊った。警備員につれてかれるその人にチャボが手を上げウインクを送った。チャボはしかし確かにカッコよかった。

記憶があいまいなのだけれど 同時期に ルースターズ モッズ ロッカーズ アナーキー RCサクセション つうのもあったような気がする。 ルースターズは誰かの病気で出れなくて ロッカーズから始まった。ロッカーズは背が高くて物凄くカッコよかった。モッズは安定していたがしかし悪そうだった。アナーキーは変わらず騒乱で RCは変わらず凄かった。チャボは変わらず客をあおっていて金ぴかで悪そうで今考えたら随分無理してたんだと思う。

夏フェスといっていいのだろうか武田鉄矢とかアリスとかと一緒の野外コンサートがテレビでやっていた。”なんだか分からないがたくさん出てくるぜ”というキヨシロウのMCで武田他たくさん出てきて楽しそうに乗っていた。

1980 8/23 POP'NROLL300% が日本武道館であった。RCサクセション シーナ&ロケッツ プラスティックス が出た。 シーナ&ロケッツが最初 ユーメイドリームがヒットしてた時でよくRCと一緒にコンサートをやってたと思う。曲がどうかと思ったりしてた。初期WHOもkinksも聴いたことはなかった。RCは変わらず、イットウ盛り上がったと思う。しかし確かにファンとしては無敵ではあった。そのあと プラスティックス は ダメやったと思う。”copy”1曲だけやった。順番ミスやったがしかし確かに少しかわいそうやった。なんか近くで人が騒いでいたが 細野氏などYMO軍団が来ていたらしい。ロケッツもプラスティックスもYMO一派という見方もありソーユーことかとヘンな納得をした。

1980 10/26 SWEET SOUL SHOW が野音であった。 上田正樹とsouth to south RC のジョイントコンサートだった。”これはすましたコンサートじゃないぜ 本物のショウなんだ”ってチケットに書いてあった。上田正樹がsweetsoulmusicを贈られたけどレコーディングをやめたなんちゅう噂を近くの人がしていた。最初 RCが出てきた。びっくりした RCが先なんだ。変わらず大好きな奴をかましてくれた。鼻高々だった。サウスが出てきた。一人一人出てくるオープニングからぶったまげた。かっチョいいやんけ本物やんけ! 本物のショウやんけ!ステージ袖にRCが出てきて楽しそうやった。僕の前の労働者風のおっちゃんも凄く楽しそうやった。なんとなく少し何か分かったような気がした。

”RHAPSODY"は良かったと思う、この頃には ダカーポの兄ちゃんも”RC最高だよ 知ってる?”なんて言っていた。しかし小川銀次は白黒写真でG2がカラー写真に変わっていた。

”PLEASE"はしかしまあちとちがうんやないかと思ったりした。スキじゃない曲もあった。しかしまあ "いいことばかりはありゃしない”はこのアルバムで知ったのかテープに入っていたのか知らんけれど好きやった。"吉祥寺あたりでゲロハいて愚痴を言ってもはじまらねえ?”つう中央線名曲シリーズの歌詞を”ここがいい”と力説する馬鹿息子を敬愛する母はどう思ったことやろと思ったりする。

”blue”はもうかわんかった。もうすでに飽きてたのか 何が変わったのか?この頃何が好きだったのか よー覚えてない。 ”多摩蘭坂”に泣くのはずっと後のことだ。

ギターのY君とは高校1年の同級生なのか?もーバンドをやると決めていた。Y君は上手かった。ドラムのノビタもベースのIさんもほとんど初心者やった。freeのオールライトナウとRCの雨上がりをコピーしたんじゃないかと思う。 そのあと "黒板””トマトジュースの唄”””ロックンロールバンド”つうしょうもないオリジナルをやって高階公民館コンサートに出たりした。人と違ってなきゃあかん。コピーなんてダメやんけって思ってた。

大学に入ったのは1984だったか サークルにカバーバンドが多いのにびっくりした。一人でギターだけやってたなんて人もいた。 この人達は高校のとき何をやっとったんやろ? と思ったが、しかしそのとき実は自分が高校のときなんも練習せずワカットらんのが自分だつうことは露ほど分からんかった。キヨシロウはボーカリストだった。何故かギターが弾けるとは思わんかった。楽しい夕にも初期のRCサクセションも聴いたことなかった。

THE ROCKN'ROLL SHOW 80/83 RCサクセション は RCの久保講堂と武道館のライブで筆者が中3のときと高3のときの録音だが 久保講堂のライブを全部見せてくれ!つう人は多いやロと思う。大ロックバンドとなっちまった時と ライブハウスに毛の生えた程度のときと鮮度つうか生ものつうか時代つうか、こういうと東方神起を見つけたのは私達よつう40過ぎの嫁と似たような発言で発見のプチ自慢ということであるがしかしロックバンドRCは確かに同時代性の欠如した筆者が唯一同時代的に体験したといえなくもない訳で筆者の厭世的な気分も週間金曜日的なとこも "ボスしけてるぜ”や"いいことばかりもありゃしない”もそんでいまいちやる気が起きないとこもパンクになってポジティブにぶっ壊すことがないとこも1980-1981のキヨシロウの歌詞の影響と無理やりこじつけられないこともなく高1なんつうのは(つうかその後も)なんもしてなかった気もするがしかし確かに1980-1981は凄く長かったような気がしたりした。 

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