風の王国 五木寛之 風の王国 五木寛之 

選民か賎民かわからないけれど”サンカ”関係の本はわりと興味があっていくつか読んだりした。フツーの人だったんだろうけれど化外の人というか異形の人というかいや確かに化外の人でいいんやろう、”サンカ”というのが秘密結社で実は大変なコネクションなんて話はまやかしだと思うけれど少なくとも戸籍をもたない人が日本中に移動生活してたというのは現代人からすれば少しびっくりするわけで沖浦和光の研究本ですべてといっても言いやもしレンガしかし宮本常一の本なんか読んでいると確かにそういう化外の人が日本中にうようよしてたというかサンカだけ特別視してもしょうがないというか

1,2年前に報道特集でやったサンカ特集は感動的なものだったけれど”セブリ”の場所、最後のサンカの人、埼玉県に多かったこと、いや全国にいたんだろう、全国に農家があって農家に竹細工等の提供をしていたわけで

考えてみると自分の中にある中途半端な化外願望がサンカに非常に興味がわかせてるわけでロック音楽というのはかつて自由だったわけでそれは縄文人か弥生人かという古典的な問いに対して縄文人でありたいという願望なわけでサンカでありたいという願望なわけでしかしセブリというかテント生活というか自然に寄り添うというかそういうことは出来ず旅行に行っても”温泉で一杯派”というか、学生時代YさんやS君がバイクでいろいろなところに行っていたがテントを張って自由にというのは筆者は憧れるが苦手なわけでしかしその自由さは霞食って生きてる感がロックンロール感というのは大きな勘違いであるのだけれどしかしサンカかエブネか知らんがようするに戸籍外で山賊か海賊か知らんがようするに化外の民というか貧民であるのだろうけれど、サラリーマンではなくて誰も知らない道を通って森で生活するすべを知っていて、ロックで飯を食ってるのはうらやましいと思うけれどしかし作家でもなんでもそうだけれど勝負に勝ったとかそういうこともあるのだろうけれどやっぱり”化外にいる”感がうらやましいというか実際はいろいろなことがあるのだろうけれどその化外感に憧れが強い。

司馬遼太郎が好きな理由の大きなものにその化外の人への視線というか負け人好きと言うかそういう感じをもってる人もいるかと思うけれどそれが宮本常一譲りというか自明のことなのだろうけれど”街道を行く”をやりたかったのは宮本常一をやってみたかったのではないかと思ったりした。

五木寛之という人は仏教の理解の深い立派な人らしいけれど沖浦和光さんと対談したりしてサンカへの理解も深いというか、弱者への共感が深い作家の一人なのやろう。歩く、走る、負ける、という人生観は作者のものやろうと思われる。自然と向き合い、しっかりとした意志を持ち、権力を得ようとせず生きる、つうのは筆者も憧れるわけでロックンロールバンドというのは反逆のバッキャロ音楽ではなくしっかりとした意志で権力外に生きるというか自分の意志でここにいるというかこれが人間の生きる道というかよおわからんが昔にあった”売れたら終わり”なんていう感覚は”意志を持ってここにいる"なんていう幻想はつうか若いうちはいいけどね、これからドウスンノというか、

よく出来た本だけれど途中でハードボイルド感満点だけれどやっぱりサンカというのは大きな強い意志を持たない職業漂流集団であったはずなわけでようするにそういう思索が出来るほど暇な時代じゃなかったわけで、くだらない作文などしてないで自分の仕事をしっかりやれというか自分の出自に忠実にというか母親を大事にと言うか、家族を大事にというか、ウイルコジョンソンが故郷のぼけた母親に付き添って長い間過ごしたのをなにかで読んで凄くしんみりしたけれど、化外というのはこっち側から見てるだけで向こう側には向こうの社会があるわけで向こうの家族があるわけで向こうの生活というかそれぞれの生活があるわけで一隅を照らすというかそれが勤めというか当たり前のことだけれど神秘も何もなくて生活のみそこにあるということだと思ったりした。  

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