ブリックヤードブルース キーフ・ハートレー ブリックヤードブルース キーフ・ハートレー   

ブルースというのは黒人の嘆きというとN君はそうじゃない、ハードな境遇だけど受け入れていくぜ つう前向きな音楽だといっていた。そうやもしれん。両方やもしれんし人によって違うかもしれんしよお分からんが、しかしまあ比較の問題で オーティスやチャックベリーのほうが明るいというか長い間筆者の好みであったが依然よお分からん。

キーフハートレーバンドつうのは聞いたことがある人がいるのやろうか?たいがいドラムがリーダーつうのはありえないつうか1969以降のバンマスは曲作りも兼ねるつうのが普通というロックバンド形態に慣れてるファンにとっては違和感があるがしかしバンマスが偉くてマネージメント関係も兼務で仕切っているという形態は確かにそうやろうというかジョンメイオールとかグラハムボンドとかそーゆー形態の最後つうかなんつうかよおしらんがそんなもんやったのやろう。

しかし確かにこの本は面白い。大枚2800円を出して購入したのを後悔させないのは 筆者の歴史好き、記録好きの好みの問題も多々あろうがしかし日本にいると分かりにくいというか世界的に見ても分かりにくいのやろう、ブルースロックからメジャーロックへ移行する過程が端々に感じ取れるというか当たり前のことだけれど60年代といっても 66,67,68,69年と激動なわけで76,77,78,79年がまったく違ってるのと同じというか,60年代を細かく分類しだすとしかしレコードコレクターズ見てもなんとなく収集家の世迷言というか評論家、歴史家の話は響かんがしかしこの本の読後感は60年代調査せなあかんというかそうゆう端っこ評論家魂をくすぐられるというか60年代がものすごく身近に感じられてくる。

細かく見ると60年代前半はスキッフル、ロックンロール、後半に新しい音楽としてブルースが入ってきたらしく62年にポールがすでに”I saw her standing there”を唄っていたとかレッドツェッペリンの登場の様子とか熱狂のブルースブームから著者自身が醒める瞬間とかフリー結成直前のポールコゾフ、ロジャースコンビとキーフハートレー、ゲイリーセインのセッションとかミックテイラーの優しさとかハンブルグツアーの過酷さとかかっこよさとか60年代、兎に角面白い。

筆者はユーライアヒープのファンなのでゲイリーセインは好きだったけれどキーフハートレーバンドの主要メンバーだとはしらなかった。後ろの年表にはゲイリーセイン、ミラーアンダーソン、キーフハートレーの主要アルバムが載っておりもちろん筆者はユーライアヒープの音源しか聞いたことないけれどしかし60年代主要人物としてこの3人つうのはどうかと思うが。

ミラーアンダーソンはゲイリーセインが可哀想過ぎるといっていたようだし、ケンヘンズレーはゲイリーは弱すぎたといっていたようだし、真相はよう分からんがしかし確かにその両方なのやろう、ゲイリーがどうしてヒープに入ったか知らんがスライ大好きゲイリーが何でヒープにという疑問はしかしヒープもいいと思ったのやろう、そうゆういい加減な、本能的な、ロックンロールな人だったに相違なく、そうゆう手数の多いロックンロールベースなわけでそんで勿論金も大事なわけでビジネスなわけでガキの戯言ではなく一発当てるべきなわけでそんで一発当てたわけで勿論ヒープも唯一無二ノオリジナルを作っていた時期なわけでおそらく金は湯水のように使って残ってなかっただろうけれどそれで十分といえなくもない。

ブルース、ジャズから派生したのかロック音楽つうのはしかし最近のバンドなんつうのを見ているとやたら大げさな嘆きあり悲しみありで”そうでもねえだろ”と突っ込みを入れたくなるわけだけれどそうゆうハードな境遇でも明るく行くぜというのがブルース魂とすれば本人にとってはブルースなのやろう、明るく行くには事象を自分のものと受け止めず流すことも含んでいると思うけれどそれができにくい現代日本人は筆者も含め事象を必要以上に自分で抱え込み"let it flow”でいけんというか、ミスチルのことを”嘆きの安売り”で儲けんのやめろといった人がいたけれど安売りかどうか知らんがブルーな心象風景描写は状況が絶望的かどうかは兎も角絶望的と思い込んでる人にはよく届くのやろう、確かに最近の日本の状況というのは政治やらなにやら絶望的としていいのやもしれんが・・・。

"journey through the BLUES”つうのが原題らしいけれどエピソードが貴重でエピソードのみだけれどすごく面白かった。

キーフハートレーバンド、ユーライアヒープ、ミラーアンダーソン、ジョンメイオール、エリッククラプトン、グラハムボンドの音源は機会あれば聞いてみたいと思う。  

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