気違い部落周遊紀行 きだみのる 気違い部落周遊紀行 きだみのる

八王子の西の奥に恩方地区と言うところがある。山間の道が狭く南に山が迫り肥沃では決してないだろうけれどそこに会社の知り合いの方がいて呼ばれて寄せてもらったことがあるのだけれど田舎だけれどその狭量な雰囲気は独特で僕の母の田舎でももう少し開放感があると言うか山が迫ると言うことはそんでその山もそれほど高くなく東京の最後の里山かよお分からんが道はほぼ一本しかなく山梨側に出るか八王子側に出るかしかなく昔は山梨側に出るにはかなりの覚悟がいったやろう里全体がドンつきというかそういう閉塞感もあるのだろうバスは終点で折り返し山間の川一本とそれに付き添うような細い道一本が続く。大げさに言えば太宰が竜飛岬に感じた日本の端っこ感というかジョイスがアイルランドの絶壁に感じた地球の端っこ感というか文学というか本つう物はそういう端っこ感が重要のような気がするがそういう意味では地球の真ん中で愛を叫ぶのはセンスは悪くないが今ではどうかと思うけれどそういう寂しいところを”夕焼け小焼けの里”として八王子市が売り出そうとしていたけれどもう少し侘しさとか寂しさとかそういう地域の持つ優れた特性を売り出しに生かさんとと思ったりする。

きだみのるという人はソルボンヌに留学経験があるインテリで世界漂流を希望していた節があるけれど敗戦でそれもかなわず戦後何年か恩方村で生活した記録がこの本なのだけれど勿論 ”気違い”も”部落”も2009年にイメージするような意味ではなく日本の民俗或いは日本人全体を総称して用いたと言えなくもなく、両方とも今では使用するのが非常に面倒な言葉故、大手出版ができないのではないかと思うけれど、都会派田舎志向というか戦後日本の民俗保存というか昔は映画にもなったらしく人気の理由も分かる埋もれるには惜しい本という気がする。

生まれて知り合いが50人くらいの部落でそのほかは大宇宙であり僅かな違いを大切に序列があるのかないのか表向きには確かな序列があり探究心は深く知り合いの生活或いは知り合いを出し抜くことに注がれ形式を大切にし村の会合は村のためではなく自分の利益のためでありサル山のサルということかやはり宗教心がないところが日本人の特徴のような気もしいやいや多摩天領の特徴というかよお分からんがつまり日本人とは何かと言われれば”この気違い部落”が原点と言っていいのやろお、上の文をそのまま”生まれて知り合いが100人くらいの会社で・・”と続ければそのまま現代にも当てはまるような気もし会社も早々変わることなく無為に歳をとっていく焦燥感というか気違い部落の人にはないやろうそこは少し異なるけれど

ヨーロッパもアメリカもいったことがないので軽々にはいえんがきっとヨーロッパの村も同じ閉塞感というかキリスト教教会文化でだいぶ変わったものになってるだろうけれど勝間何がしという女性がとくような生き方はグローバルというか近代アメリカのみで通用する異形な気がし当たり前だがアメリカのみが異端なわけでグローバルじゃなきゃあかんのかというか勿論グローバルであるべきなのやろうけれど人間秩序としてというか人間の自然的な性質としてドメスティックな部分があるわけですべて同じベクトルのブルドーザー状態はというかそういうことではなくキリスト教教会というものも細かく見るといろいろあるのだろうけれどしかしそういう閉塞的な村社会の中で宗教観なく人間の本能というかよりそういうところを剥き出しにして近代つうか戦後しばらくつうかほんのそこまで来たつうのはやはり日本人の特徴と言えるような気もし日本人の特徴か或いは極東アジア地域の特徴か或いは天領多摩地域の特徴かよお分からんがこの狭量さは居心地が悪いわけではなくどうということもない話だけれど"理系"出身の筆者はなんとなく他の学問を勉強した気になると言うかすごく面白く民俗学者にでもなりたかったというかそいう幼稚な探究心を満たしてくれる面白い本だった。

きだみのるが暮らした"寺”はまだあるのだろうか、この本が出たことによって村の人に冷たくされてしまったようだけれど、冬の寂しいうちに探してみようかと思ったりする。 

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