20111206 Eric clapton&Steve winwood at Budokan 20111206 Eric clapton&Steve winwood at Budokan

病気の知人がエリッククラプトンのコンサートに行きたいといっていたが結局病気でいけずチケットがあまってしまった。そんで急にN君誘って武道館へ行って来た。N君も乗り気ではなく、ただでいいからなんていうと急に返信に力が入ったようだった。

エリッククラプトンは筆者はあまり好きではなくしかしまあスティーブウインウッドは好きなわけで楽しみではあった。

なんというか質素なステージセットでそれはそれで武道館にあっているかだが大枚12000円なわけであれでステージに金かけなかったら丸儲けなわけでストーンズのコンサートの大仰なsetとかkissとかもそうなのだろうけれどファン層が違うといえばそれまでだがしかし12000×10000人で1億円か、それで10日もやったら10億か、そんであんな質素なステージだったらよっぽど分捕ってくんやろう、それはそれでよいが少し東北地方に寄付するとかないのかなどと話しながら開演を待った。

いや確かにステージはデパートの控え室みたいでペルシャ絨毯みたいのが唯一の装飾で後はシーツ見たいのがバックにかかっているという公民館の催しのようなもので、そんでその唯一のペルシャ絨毯はクラプトンの立つ場所しかカバーいないという重要な発見をN君がしておりクラプトンの気の利かなさというか人間性の欠陥というかそういうものを感じたりした。

エリッククラプトンという人は積極的に好きになったことはないような気がするが、ジョージハリソンとのやつとか、エルトンジョンとマークノフラーとのやつとかに行ったことを思い出しよく考えたらコンサートは3回目なわけでそのどちらもいい印象はなくようするにジョージやマークノフラーを聞きに行きたかったのだけれど聞こえてくるのはクラプトンのギターばかりで自分の重厚なバックバンドで他の人の個性を消しまくるというかマークノフラーの繊細なギターの音なんて全部かき消されてたのを思い出したりした。

コンサートが開始してしばらくしてN君が言ったのが”クラプトン、ギターの音でかいね”。

そうなのだ、なんか知らないがクラプトンのほうがギターも歌も一段大きい気がし、いや確かに大きいと思うのだけれど自分だけペルシャじゅうたんに乗っかって歌う気の利かなさ同様の自分さえよければいい音バランスなのだ。これは確かに確信犯ではなく天然ボケなんだろう、でもスティーブウインウッド聞きに来た人なんて2割もいないのだろうからいいのやろうけれど。

スティーブウインウッドの唄が聞き難いのが少し悲しかったけれど途中でやった”while you see a chance”はこの日やったスティーブウインウッドの後期傑作群の唯一の曲で幸せな気分になったけれどそのときのクラプトンのテキトーきまわりないギターは少し気になった。いい曲なんだけれどなあ

いやしかしクラプトンとスティーブウインウッドが交互に持ち歌を披露し続いていくコンサートはコンサートの盛り上がりを感じることなくぶつきりでようするにpopなナンバーのあとにヘビーブルースその後soulっぽいやつとかようするに学芸会の趣というかそれはそれでよいが、しかしじじいの学芸会に12000円払って見に行くのはというかこの手のコンサートは客は回顧感を感じに行くのやろう、筆者も初期traffic時代の曲は素直な好きな曲が多いわけでそのときはすごく楽しく感じたりした。

クラプトンとスティーブウインウッド両方とも興味がないN君は”なんかぶつきりだねえ”という感想を伝えつつ”VOO DOO CHILEが良かったなあ"なんて感想をいっていた、筆者はVoodoochileでのクラプトンの熱演にはしかしそれまでのギター音量に辟易してたとこもあり感心せず長く感じてたのでそんなもんかなあと思ったりした。

スティーブウインウッドがボロッちいオルガンで唄うのはやはり味があるというか年輪があるというか感慨深いものがあった。

スティーブウインウッドが前に日本に来たのは20年以上前だろうか、確か代々木だったような気がするがそのとき母親を連れて見に行った覚えがある。母は”結構素敵だねえ”なんて感想をいってたような気がするが、あれから時間がたってスティーブウインウッドは地味だけれどしっかりした音楽活動をしているわけで、後期soloの傑作群とtrafficのアルバムとをじっくり聞きたいと言うかクラプトンファンも同じやろう、”とにかく交互でやるつうのはダメやなあ”というような話をビールにラーメン食いながら話をして帰ってきた。

 

 

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