ウィーン愛憎 他 中島義道  ウィーン愛憎 他 中島義道  

意地悪でやな空気をあえて読まない最悪の奴なんやろうけれど
大学教授ということで社会的ステータスを持つくせに
家庭内自虐吐露を続けるアダルトチルドレンなのだろうけれど
しかしまあウイーンが見えたから日本も見えたんだろうけれど
ホンとに本そのとおりの人かなぞに見える気もするが
しかしまあ最終的なメッセージは死を意識して前向きに生きろ
つうのは哲学と宗教の狭間でしかしこういう根源的な事柄は
はじめから疑問を持たない人も多いわけでそうじゃない少数の人が
ややこしいわけで筆者も指摘してるがその深刻さはともかく
どっちかつうと少数派のような気もして資質というか業というか
因果というかようわからんが・・

作者は40前まで秀才の引きこもりでウイーンで伴侶を得、
独り息子の教育には情熱を注ぎ大学に入ると開放されたのだろうが
しかしまあこれは世のお父さんなら誰でもある程度経験することで
つまりまあ人類が太古から行ってきた生殖、教育つう事で
世代間の受け渡しに何億分の一かでも参加してるんだろうその安心感
がおばさんを強くしてるというか正統的に生を全うしてると想起させるというか・・
そういう既成事実から真っ向からいや少しだけ斜に構えるというか
そういうことがロックなんじゃないか、かっこいいんじゃないか 正しいんじゃないか
というか若い頃は疑問に感じてるわけで今も充分な違和感を持ってるが
しかし確かに何億年も人間の営みとしてDNAに組み込まれたものに対しては
そういう安心感をもっとるだろうと喪黒福三に指摘されればガビーンとなるしかない。

しかしまあこの人の本を読むとなんか気持ち悪くなるつうか
筆者は司馬遼太郎が好きな典型的なお父さんであるが司馬氏の厭世的な部分
にも惹かれるわけでしかしこの人の場合厭世的ともいえるのだろうが エネルギッシュすぎるわけで
つまりこういうことを突き詰めてくと攻撃するか死ぬしかないというか
結局日本的何やろつう事やもしれんが赤軍派の集団リンチなんかも
想起されて自分が試されるというか、つまりお前はどっちだといわれれば
よーわからんというしかなく、そういう各人の立ち位置が非常に細かく分かれて
許容されている今の社会はそう悪くないんじゃないか成熟しとんじゃないか
と思ったりするがしかしそういう別の話に持って言って大して真剣に考えない、
つまりサイコロの目を安心目に振って流されるままやっとるつうのが自分の立場 といえなくもない。 

そういう太古からきている根源的事柄と生まれて50年なんつってるロック音楽を
同列に考えることに基本的に無理があるか、
しかしそういうことでなく ジョンがヘルプで提示した気持ちや最近キンクスの"I'm not like anybody else”
がCMに使われやたらかっこいいがああいうこともやはり人間の根源的な部分の提示であり
太古からのDNAに従ってるから50年間支持されてるんやろう。
つまりロックミュージックつうのはそういう根源的なヒネクレ根性を表現するのに最も適した表現法を
たまたま備えてたモンやないかと思う。 

昔からロックとは何かつう下らんことを常に考えてたわけではないが
しかしまあ飲み会でそういう話になると深みにはまって大きな疲労感
を得ていたものであるが アクアタイムズはまったくロックでなくスパルタローカルズはロックだ
 といまでも思うが
そういうつまり根源的なヒネクレがあるかどうかが個人的な大きな基準であり
そういうヒネクレ感は普遍的だが少数派な訳でマーケットが限定的になる場合もあるやろ。
60年代が何故いいかってビートルズが創めたのかそういうひねくれ度合が前面に出てるのが多いわけで
音楽として成熟するにつれそういう生の部分が希薄になりがちというか・・
社会の要求もアンのやろうけれど70年代後半にパンクはあったけれど
90年2000年ともにナーンもなく裕也さんのnew year rock FESも
大変な惨状を呈するようになってしまっている。  
そういうロックは態度だ!なんつう発言も聞くには聞くがつまりヒネテルつう事な訳で
裕也さんとは微妙に違う気もするがそれに近い発言
をして後輩の抜群にギターのうまいO君にロックつうのはただの音楽で
そういう人が話をややこしくしてるといわれたのを思い出す。
なんか人が酒飲んで言い出すと”それはややこしい””そいうこっちゃ”
とまともに話しせずすごしてきたのは最低の処世術として中島義道氏に
一括されそうな気もするがしかしまあ40超えて下らんこと考えてるのも
引きこもり手前で年取ったアダルトチルドレン再生への道というか、
こんなんじゃまだまだ甘い 仮面をとれ といわれそうで 
昔スタジオに入って自分以外のスタジオに入る甘えん坊は
みんな自衛隊か 愛媛のみかん農家に働きに出ろと思ったりしたが 
当然自分もそうだったわけで

そういう自分と決別してリボーンや日本的思考からおさらばやつう事は露とも考えられんが
まあ思考停止じゃなく少しは考えようと思ったりする契機にはなるような気もする。

 

   
 
 

 
 

  
   

  
  
  
  
 

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