新潟 行  新潟行  2014.秋

Aさんが亡くなってしまった。安田祭の中心人物であり、その企画力、仕切り力は他に類を見ない人だった。 ベースプレイは独特ののりがあって楽しそうにベースを弾く人やった。きめのフレーズが決まった後の腕を前に上げる ポーズはカッコよかったなあ。やっぱりマーキーズからバッドインフルエンスの黒っぽいロックンロールともう少しソウルがかったへんが 一番やりたかったのかなあ

自分のことをあまり話したがらない人で葬式のあとにもAさんはホンとは何が好きだったんだろうという話題があがっていた。 パフュームにはまってるなんて僕はまったく知らんかった。

僕がパブロックが好きなのをAさんも知っていて入院中グラハムパーカーのことを話した。グラハムパーカーでは何がすきなの? 3枚目が最高ですねえ、それまではフォークロックっぽくて、なんていうと確かに まだぬるいんだよね、ライブは良く聞いたなあなんて話してくれた。  
そういえばロックパイルのライブがでたときにもう聞いた?なんて聞いてくれたことがあった。渋谷のパーカーのソロライブのときに あったのを覚えていてあれはクアトロだったなあなんていっていた。よく考えるとパブロックについてこんなにしっかり話しあえるのはAさんだけやったなあと思う
あまり人と企画バンドに呼ばれない人見知りの僕にキンクスバンドを結成して誘ってくれた。daysとかデッドエンドストリートとか、そのとき キンクスを教えてもらったのだと思う。RCの企画をやったこともある。ヒッピーに捧ぐをやったのだけれど、どうもAさんは安田さんのためにやりたかった みたいだった。やっと出来たなんていっていたと思う。
サークルの仲間を大事に感じてたと思う。ファミリーみたいなものだからなんていっているのを聞いたことがある。
殿様キングクリムゾンとかピンクフロイドの企画とか安田さんと散々遊んで安田さんがいなくなった後も安田さんのdoityoueself感を企画にずっと持ち込んでいたのは Aさんだった。病院で俺はプログレから入ったんだよなんていっていた。

クラッシュの全盛期に日本に来たのを見たのはうらやましかったけれど、どうでしたと聞くと、いやただのコンサートとしてみたなあ、特別なことはないなあといっていた。 妙な興奮や脚色のない人やった。

最後にお見舞いに行ったのは2週間前くらいだったけれど、起きているのはつらくて横になって話してくれた。あの時はもう長くないことを知ってたのだろうか、 つらそうだから帰りますというともう少し話そうかなんていってくれた。明日仕事なのに大丈夫かな、悪いなあなんていっていた。大学のころにはジャーニーとか聞いてるやつ許せんかったなあ、 今はどうしてあんなにこだわってたのかわかんないなあなんていって、僕も入学したてのころのAさんは怖かったなあなんて思った。 帰りにAさんは一緒にトイレにいって別れた。 他人に頼ることの少ないAさんは最後にも穏やかに頼ることなくAさんやったけどその日は、今日はいろんな話が出来て楽しかったなんて話してくれた。

以前、腸の病気で入院したときに退院後の安田祭でyou gotta friendをやったのも忘れられない。頼ることはなかったけれど 友達を凄く大事にしていたんだと思う。

このページをたまには読んでくれてるようやった。普通はもう少しメジャーどころを押さえとくもんだけどなあなんていっていた。最近は更新することもなかったのだけれど少し更新した。

お通夜は19時からだったけれど、Aさんの育った新潟を見ておきたいと思って早めに行った。初めての新潟行きの2階建ての新幹線に乗って 15時ごろについた。
駅からゆっくり歩いて、途中で散髪したりして、日本海まで2.5kmなんてあるからちょっと足を伸ばすかと思いつつ、信濃川でいいかというか 万代橋はやっぱり姿のいい橋で信濃川は大きく雄大で少しゆっくりして写真を撮って家族に送った。本町や古町通りをうろうろしてどっかいいケーキ屋ないかなと思いつつ ドトールしか見つからなくて万代橋のほうに戻ってケーキ屋に入るとテーブルは一杯で仕方なく葬儀の場所に向かうと洋服屋の上に喫茶店があってケーキセット850円で 18:00まで最近のお気に入りの須賀敦子を読んで過ごした。Aさんはあそこのケーキはいまいちや、とか惜しい、とっておきの店があったのになんていうかもなあなんて思った。

葬儀の後、成り行きで駅まで連れ立って歩いた。信濃川の向こうにはでっかい月が浮かんでいてそれはそれで河口でしか見ることが出来ない光景だった。 Aさんに新潟のこと少し聞いとけば良かった、と思った。  

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