THE BEST OF PRETTY THINGS THE BEST OF PRETTY THINGS

新星堂300円シリーズ、プリティシングスはやたら種類あった。いろんな雑誌で名前出てくるのだけれどはじめて聞いた。WHOよりこっちの方が先とかよく書いてあったような気がする。

しかしまあ確かによく分かる。最初は ゼムかストーンズ初期か、つう感じでその後WHOかkinksかスモールフェイセスか、ビートルズか そのどれかか、つう感じで確かに同時期何やろし、どっちが先か知らんが しかしこの時期、若者が束になって何かを生み出してたんやろつう感じが伝わってくる。

そんで少し悪いというか、ボーカルが悪そうというかこわそうというか、詳しく知らんがその辺が全く同様の少し可愛さ部分もあるバンド群の中で一般的になりきらんかったとこなのやろか?

しかしまあかっちょいい!ロックである。なんでこんなに知る人ぞ知るなんやろか?

いろいろいえるンやろけれど、まあ確かにたまたまつうことのような気がする。たまたまなんともなんなかったけれど実は凄かったんだよっつうのは誰でもいえる言い訳ではあるが音楽つう物は確かに空気のようなもので売れる売れないつうのはたまたまとかタイミングとしか説明できん場合もある訳で会社で若いのとはなしていると”売れる=いい音楽or人間的魅力が上”みたいなことを硬く信じてる人が多く サザン>福山>スピッツ>RC>パンタなわけで別にどうでもよいのでなんも言わんがしかしはじめて聞いたときはそういう考え方があるんだつう事にびっくりはした。

つまり売れたいからやる、もてたいからやる、つう軸ではなくなんかもう一つ説明できんがしっかりした理由があるんやないか、芸能としてではなく芸術つうか 映画俳優じゃなく映画監督の部分も兼ねとるつうか映画は好きではないが 演歌歌手よりは画家に近いつうか そういうイメージもありつつ突き詰めてくと破壊つうかパンクつうか精神の爆発カナンか知らんがプリミティブな部分も抑えてる訳でそういうロックンロールの抱えた矛盾を見事に抱えておりそのためにイメージが散漫になってしまったつうのはまあカッコよすぎるがそういう矛盾が”プリティシングス といっても間違いではないようなきもする。

と下らんことをごたごた言ってると昔高校生のとき国語の先生にロックは芸術だなんつってじゃあサザンはどうなんだっていわれてなんも言い返せなかったのを思い出してしまった。

つまり全部はいっとるんじゃないか、そんでもって売れなかったせいもあるがエバーグリーンつうとかっこいいがそういう素人くささも確実にある訳でそこも含めて全部カバーしとるんやないかと思ったりする。

ジミーページは嫌いだがしかしスワンソングには デイブエドモンズとかバッドカンパニーとか呼んでおりそんでこのプリティシングスもスワンソングだったような気がして根本的にはロックンロールが好きなんやろなと思ったりする。

ロックンロールとは何かといわれれば”ニューヨークドールズとプリティシングスだ”つうのがカッコいいなあ。5オクターブの大きな声量を誇るのではなく早びきを競うのでもなく最低限自分のできることを踏まえて誰でもできる技量の中から自分らしさを打ち出していく。これは作戦ではなく結果なわけでみんな自分らしくやった結果がロックンロールか否かつう事であるがロックンロールか否かつうのは長くやることでも初期衝動どうのでもなく結果としてチンピラがチンピラらしくまじめに取り組んだが中途半端なためにチンピラ然とした部分が残っている状況が見えているというか、またはチンピラにもなりきれん逡巡振りが残っているというか つまりそういう根源的な幼稚な矛盾を抱えているというか それが音に出てるというか そういうくだらない個人的な基準からは”大英帝国最強のロックンロールバンド”といっていいんやないかと思える発見であった。今度60年代ロック好きのAさんにでも聞いてみようと思う。

昔ジミーページはギターが下手だなんつうのがまことしやかに言われていたがしかし確かにヘビメタ早びきと一線を画してたわけでそれはその部分だけでもロックンロールらしさを残しときたかったんじゃないかと思ったりした。フォークロックみたいなことをやりたがったのもはみ出すことが基準のロックンロールと共通点を感じるがしかし確かにあんたは結果としてロックンロールとは正反対の極北の男です。ともぐろ福三張りに時代遅れの断定をして終わりたいと思う。なんか作り上げてもシャーない、たまたまそうなっちまったつう事が大事であります。会社じゃないんだから。

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