I AM THE BLUES WILLIE DIXON I AM THE BLUES WILLIE DIXON

ウイリーディクソンなんていう人のアルバムを買うのは初めてだけれど”I am the blues”らしくチャックベリーのアルバムでもベース弾いててレッドツェッペリンの元唄つう話も聞いたことがありよく分からんが当時の裏の顔役だったのか

ブルースという音楽形態はやっぱりあんまりすかんというかロックンロールの方が好きだけれどこの人の場合明るいブルースというかさすがチャックベリーのベースというか好々爺というかスティーブクロッパーの笑顔にキャラかぶると言うか太ってて楽しそうというかハンドクラッピングというか素敵な人だったようである。N君が時々ブルースは明るいと言ったりするがこれを聞けばナールトいうかもしかしたらBBkingなんかもそうなのかよお分からんが”明るいブルース”というか”ポップなブルース”というかブルースというのが一つのくらい音楽形態という思い込みは確かに間違っていると言うか昔日経をとってたときに付録で”Blue"の特集をやっていて”Blues"つうのが"Blue"の複数形でキースリチャ−ズも兎に角カッコよかったというか”cool”だったというかそんな話をしてるのが載ってたりしたがいやしかし"Blue"の集合体と言うのはナールというか"reds”はサッカーチームだし”blacks"はラグビーチームだし”yellows"つうのはなんとなく差別用語っぽいし”browns"つうのは悪くない気もするがしかし”pales"なんつうと少しカッコいい気もしやはり”青系”つうのは特別な色のような気もし”blue”な気分の集合体ではなく”bluesky"つうか昔大学の頃ロリーギャラガーが好きだったS君が”bluesky"という曲を作っていたがあれはブルースっぽさは全くなかったがしかしロリーギャラガーつう人も楽しくブルースやる名手と言うか第一人者と言えなくもなくそうすると”bluesky"つうのもbluesの現している重要な雰囲気のひとつと言う気もし示唆的というかブルースの振幅の広さを表していたとはしかしやはり全く思えないが兎に角このアルバムはブルースつうのがロックンロールと完全な対立概念ではないことを教えてくれるというか、朝鮮半島と日本をつなぐ対馬の役割と言うかこの人はジャンルを超えた一代の時代の傑物だったのやろうと言うかジャケット写真も素晴らしくあと2ヶ月もしたら遅れてきたファンではなく10年来の友達のように”ウイリーのおっさんはよお”と人に話しているやもしれんと思わせる、間口の広さと親しみやすさと言えるわけでその飄々さは音楽からにじみ出てきており当たり前だがレッドツェッペリンとは正反対のこけおどしなし商魂なしえらぶりなし中身のなさなしデコレートなし金きり声なしの自然な都会派のカッコいい音楽であった。

ロリーギャラガーとデイブエドモンズが大好きだったけれどしかしまあそれはチャックベリーとウイリーディクソンが大好きだったと言うことのような気もしたりした。よお分からんがブルースの深遠な森には少し分け入ってみようかと思うきがしないでもない。  

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